🔥映画『火天の城』を観て🔥

建築

🔥映画『火天の城』を観て――宮大工の目から見た夢と覚悟

📽️2009年公開の映画『火天の城』は、
織田信長の命を受け、安土城を築く
宮大工・岡部又右衛門の姿を描いた時代劇です。

木の家を造る者として、
この作品はただの時代劇ではなく、
「生き方の映画」として心に深く響きました。


🪵1. 木を知る者だけが見える風景

劇中、又右衛門が森に分け入り、

「風を受けて育った木は強い」
と語る場面があります。

この台詞に、私は震えました。

木材はただの「材料」ではありません。
1本1本に性格があり、人生がある。


その木が育った環境、傾き、木目、節の流れ──
すべてを読み取り、最もふさわしい役割を与えるのが宮大工の仕事です。

木に耳を傾けるその姿勢が、映画の細部にまで丁寧に描かれており、
「この監督は本当に木を愛している」と感じました。


🛠️2. 建てるということは、命を込めること

信長から与えられたのは、
「誰も見たことのない天守を造れ」という無茶な命令。

図面もない、鉄もない、クレーンもない時代に、
数十メートルの建物を建てるというのは、
今で言えば月面に宮殿を建てろと言われるようなものです。

しかもその工期はたったも3年。

今の時代でも考えられない工期です。

私たちが今も神社仏閣に心打たれるのは、
そこに「命を削って刻んだ木の声」が響いているからです。

映画の中で、大工たちが汗と涙を流しながら刻み、組み、倒れ、
また立ち上がる姿は、
私たちが普段忘れてしまいがちな
「ものを作る尊さ」を思い出させてくれました。


🧱3. 「継手」と「仕口」に込めた技術と美意識

宮大工の世界では、
継手(つぎて)・仕口(しぐち)という技術を使って木を組みます。

釘もボルトも使わず、木だけで強度を保ち、
見た目も美しい構造にするための工夫です。

映画の中でも、継手を慎重に刻むシーンや、
柱を立てて仮組みする場面が出てきます。

その一瞬一瞬に、
「失敗できない緊張感」が張り詰めていました。

少しでも角度を間違えれば、
梁は通らず、建物は立たない。

そうした張り詰めた現場の空気感を、
映画は見事に再現してくれました。

宮大工として、ここまで本物の仕事を再現してくれた作品は珍しく、
スクリーン越しに何度も頷きながら見ていました。


🧑‍🎓4. 受け継ぐということ、背負うということ

見習いの若者が「自分には無理だ」と逃げ出すこともあります。

しかし、現場を手伝いながら、
徐々に木の声を聞き、道具の重みを知り、
職人の背中の大きさに気づいていきます。


私は自分と師匠との関係を重ねていました。

昔は怒鳴られ、道具を投げられ、
悔しさに泣いた夜もありました。

でも今になって、その言葉の意味が分かる。
なぜそこまで厳しかったのか。
なぜあの角度にこだわっていたのか。

技術とは、
「真似」ではなく「感じること」から始まる

この映画は、そんな継承の本質を静かに教えてくれます。


🔥5. 火天のごとく、心を燃やす者たち

「火天の城」というタイトルには、
“火の神”のように燃える心で造られた城”
という意味が込められていると、私は感じました。

炎のような情熱、
風のように変わる状況、
そして土と木と汗にまみれた建築の現場──

それらすべてを背負いながら、
又右衛門は一寸の狂いもなく、
安土城という奇跡を建て上げます。

現代の私たちは、便利な道具やデジタルに囲まれ、
一見なんでもすぐ作れるように感じてしまいます。

でも本当に価値のあるものは、
人が命を懸けて、心を込めて作ったものだけだと、
この映画は教えてくれます。


✍️おわりに:職人の心は、今も燃えている

『火天の城』は、
ただの城の物語ではなく、
職人たちの魂を描いた物語です。

木を選ぶ目、
刻む手、
支える家族、
叱る師匠、
耐える弟子。

どれもが胸に迫り、
「自分は本当にこの道を誇れているか?」と
問い直す時間になりました。

私たち宮大工は、今も同じように木と向き合い、
千年先の誰かのために刻んでいます。

この映画を観て、
一人でも多くの方が「建てる」という行為の奥深さに触れ、
伝統を支える心を感じてくれたら、
嬉しいです。


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